2012/05/22

ウズベキスタン最古の天文台 謎のチッリャ・ホナ


1225年にバグダッドの王様はイスラム教の布教範囲を広げるのに自分の息子のザイヌッデインを中央アジアのタシケントに派遣しました。ちょうどモンゴル征服の後の頃で、中央アジアの町はみんな滅ぼされて、遺跡のようになっていました。苦しむ人たちの心を慰め、希望を与えたのはザイヌッデインでした。彼はタシケント人の間で親しまれてザイヌディン・ボボと呼ばれていました。「ボボ」はウズベク語でおじいちゃんという意味です。タシケントの守護聖人の一人になりました。
ザイヌッデインのキャラバンが初めてタシケントを訪れた時、街に近づくと彼の乗っていた駱駝は「知識人の丘」というところに突然足を止めました。それは吉兆とされて、ザイヌッデインはここに住み着きました。ここのチッリャ・ホナ(聖なる場所やモスクなどに付随する巡礼宿)で40年間に渡って、飲食を控えてお祈りと瞑想の日々をおくりました。
ザイヌッデインが住んでいた11世紀のユニークなチッリャ・ホナは地下にある二階建ての建築物で、いまだに残っています。タシケントの聖なる場所の一つで、地元の人達が墓参りによく来ています。

ところで、この建物は巡礼宿だけではなくて、大昔は天文観測台として使われていました。
地面からは建物の屋根だけが見えています。

地下の下の部屋は上の部屋の11分の5で、その中心は上の部屋より北の方に166センチずれています。

又、上の部屋の天井に錐台形の丸い穴があります。

そこから一日に渡って落ちる太陽の光線が次から次へ移っています。こうして、チッリャ・ホナの中の8つの対称的な壁はコンパスの北西になります。
地下の下の部屋が太陽の光に照らされるのは一年に一回だけ、62212時です。6月の22日は一年中で最も昼間が長い日として知られている夏至点ですね。農業を営む中央アジアの定着民族にとって重要な農業暦の一日でした。
この下に又小さな部屋があります
下の部屋への入口
カメラのフラッシュがないと地下の部屋は真っ黒で怖いです
しかも、人が寝れるこんな場所があって、ザイヌッデイン・ボボがここで一人で
ずっと地球の人々のためにお祈りしていたでしょう

ウズベキスタンに広く知られているのはもちろんサマルカンドの有名なウルグ・ベク天文台(15世紀)ですが、11世紀にもこんなユニークな場所があって、タシケントの知識人はここで天文観測をしていました。


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